(学徒出陣9)
特別攻撃隊
一番悲惨だったのは、あとで私述べますけれども、特別攻撃隊でもって九州の海軍は鹿屋なんですが、そこから沖縄へ飛んでいく。沖縄にたどり着かないうちに、向こうのグラマンが全部待っていて、ほとんどの特攻機ははグラマンに食われてしまって、やっとたどりついても、当時のアメリカの機関銃というやつは1分間に600発出るんですが、それでうたれますとだいたい1分間に600発ですから、1秒間に10発ですか。そうすると零戦の突っ込む速度というのは300ノット。キロでいいますと、だいたい560キロですね。それぐらいのスピードで突っ込んでいくわけですが、1秒間に10発の弾がボン、ボン、ポン、ポンといくわけですから、理論的にいきますと、80%は、というのは零戦の長さは15m、それがスッといったときにそのスピードが今言ったように300ノットですからそれでいって、向こうの機関銃が10発と。計算しますと、それが1丁ならいいんですが、それが3丁も5丁もバッーとくると、かわしようがない。どうしてもかわしようがないからしょうがないから、プロペラが海面へくっつくくらい低く飛ぶ。例えば、5mとか6m、海面から。それで飛んでいくと向こうの機関銃もそこまではいかないわけですね。みんな船側にありますから、角度がそこまでいかない。そうやってすれすれで行っといて、いよいよ敵艦に近くなったときに急上昇して、そのまま突っ込むというふうな戦法を取らざるをえなくなる。そうなると自分の命を捨てなければならんということになってくるわけですね。そういうふうなことで、8000人の人たちは練度も不足しているけれども、特攻隊を含めて戦死したのが1839名。だいたい4人に1人は戦死しているわけなんですね。さらに神風特攻隊の士官の戦死者は769人なんですが、その中で学徒出身者は638人。だから大部分が学徒出身の、13期、14期の、先ほど言いました予備学生が突っ込んでいった。こういうふうな状況であります。